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山代温泉は温泉とともにある町。それは住所にも見て取れます。通常、XX県XX市XX町XXXXですが、山代温泉の場合、石川県加賀市山代温泉XXXと山代温泉に町は付きません。 山代温泉の守護寺は薬王院温泉寺。その歴史は古く、平安時代(へいあんじだい、794年-1185年/1192年頃)にあるといわれています。 薬王院温泉寺・・・「霊方山薬王院温泉寺(真言宗)。神亀2年(725)、行基が白山登山の道中、カラス(霊鳥)の導きをうけて温泉を発見し、入浴して効能を感じ、みずから薬師如来、日光、月光菩薩、十二神将を彫刻して温泉の守護仏にした。長徳3年(997)、花山法皇が北陸地方を巡ったとの伝えもあり、荘園の寄付や、勅願所(天皇の命令で国家を鎮め護ることを祈願した寺社)として栄えた。また後年、明覚が七堂伽藍を建立。寺号もこのときにつけられた。平安時代末期には白山五院の一つとして、江沼地方の白山信仰の拠点になり、末社や別院を数百保有。天文21年(1552)には越前朝倉義景の兵火により焼失したが、江戸時代前期に大聖寺藩主前田利治の遺言により再建され、「お薬師さん」として親しまれている。」出典:ほっと山代情報局http://www.yamashiro-spa.or.jp/jiten/temple2.html#ya-temple 今日のタイトル「明覚上人顕彰会」は、その「明覚」を知ってもらおうと住民たちが作った会です。明覚上人の命日にあたる毎月10日に、明覚上人供養等(鎌倉時代作)の前で、お経を読んでいらっしゃいます。 明覚・・・「天喜4年~嘉承元年(1056~1106)。平安時代末期の学僧。薬王院温泉寺の初代住職(第三世とする説もある)で、悉曇学の研究者として有名である。悉曇(インドの梵字、サンスクリット文字)は奈良時代に中国から伝わり、空海(弘法大師)や天台宗の僧たちが研究した。その後、明覚は独学で、漢訳された仏典の訳語の違いを研究し、日本の50音図配列に大きな影響をあたえた。「悉曇大底一巻」「反音作法一巻」「四家悉曇記一巻」「梵音義四巻」「悉曇要訣」などを著す。これらの著書の多くには「加州隠者明覚撰」とあり、その生まれは不明な部分が多い。薬王院温泉寺には「めかくしさん」とよばれる供養の五輪塔(国指定重要文化財)があり、現在は祠が建てられている。」出典:ほっと山代情報局http://www.yamashiro-spa.or.jp/jiten/hito3.html#mi-myo 明覚上人供養等の写真はコチラからhttp://twitpic.com/1veuyuahatake1881さんありがとう その明覚上人顕彰会に本日はお邪魔してきました。国際交流・多文化共生・国際理解を推進しているのになんで?真言宗。それは、地域にある多文化、日本にある多文化の影響を探していたらここにたどりついたからなのです。 今、個人的に、「日本語における音声学」にとても興味があります。それは昨年行なった「ムンドモンドくらぶ(こどもの国際理解活動)」に参加してくれた人たちとの会話にもしばしば出てきた「日本人はどうして発音にコンプレックスがあるのか?」というところから、ずっと続いている個人的研究テーマです。 明覚は、後に50音図(アイウエオ図)につづく、悉曇(シッタン)学を学んでいた学僧でした。それは、インドのサンスクリット語、サンスクリットの中国語訳、日本語訳などを研究していたこともあったでしょう。そうして五十音図の誕生に影響を与えていったのです。それこそが日本における多文化の研究の成果に他なりません。 悉曇学・・・「中国や日本に伝わったインド文学に関する学問。梵語学、サンスクリット語学ともいう。悉曇は奈良時代、天平8年(736)、仏哲により初めて中国から伝えられたとされている。以後、空海(弘法大師)、円仁、安然などにより研究され、その後、明覚がさらに研究し、日本の50音配列に大きな影響をあたえた。明覚上人は薬王院温泉寺の初代住職である(第三世住職とする説もある)。 」出典:ほっと山代情報局http://www.yamashiro-spa.or.jp/jiten/bunken1.html#shi-gaku 日本語を学ぶ全ての外国人も必ず目にする五十音図。そこにある多文化の影響を考えたとき、古代から世界はつながっていたのだと思わざるを得ないのです。 また、サンスクリットは、西へも影響を及ぼしました。言語系体で「インド・ヨーロッパ語」というのを聞いたことがありませんか?イギリスのウィリアム・ジョーンズは、このサンスクリットを研究していて古典ギリシャ語やラテン語との共通点を見出し、比較言語学が始まったといわれています。 というわけで、地域にも見られる多文化の影響。そんなところから共通点を探して、現代に生かしたいと思いました。こどもにも楽しいワークショップを作ろうと構想中です。一緒にやろう!と思う方ご連絡ください。
by tabunka-net
| 2010-06-10 14:57
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